4 人の己を知らざるを患えず

   ひとのおのれをしらざるをうれえず

本日ご紹介する論語は「人の己を知らざるを患(うれ)えず、人を知らざるを患うるなり」です。

この論語の意味は、人が自分のことを正しく理解してくれないことを思い悩んでもしかたない。それよりも、自分が人を正しく理解していないことを心配すべきである、ということです。
 
私たちは、自分のことをもっとわかって欲しい、もっと理解してほしいと思っています。しかし、そのことよりも大事なことは、自分が他人を正しく理解しているか、ということです。

人間は、動物ですから、本能に従って行動する場合、自分の利益になるように考え行動します。そうすると、利益と利益がぶつかって、争いが絶えなくなります。今から2500年前、孔子が生きた春秋戦国時代は、そんな時代であったのでしょう。人と人とが争う時代であったからこそ、それを戒める必要があったのです。

自己中心ではなく、他人のことをしっかりと思いやれることこそが人間として立派なことであるという考え方は、人間が人間として成長し、より良く生きるための基本となるものです。
 
戦後教育の中で、私たちは、自分が一番大事と教わってきました。教わらなくても人間の本能ですから、それが当たり前と考えてきました。しかし、武家の家では、礼儀作法、儀式、家の存続が一番大切であると教えています。今の時代に武家の家がありますか、という質問が飛んできそうです。それがあるのです。

鎌倉時代に源頼朝の師範として仕えた小笠原家は、清和源氏の家系で830年以上にわたって男系の歴史を刻んできました。その小笠原家は、将軍に礼法や弓馬術を教える師範として代々将軍家に仕えてきた家柄で、自分よりも大切なものが礼法であり、儀式であるという教育をしています。自分よりも大切なものがあるという考え方をしっかりと子供たちに伝えているのです。

繰り返しますが、自分が正しく理解されていないことを思い悩むのではなく、自分が正しく人を理解できているかを心配したほうが良いという言葉は、人生につまずいたときにもヒントを与えてくれるのではないかと思います。

自己中心的であると自覚したならば、まず、人の話を聴くことにしましょう。自分が話したくなっても、まず、相手の話を聴くことが大事です。そして、お互いにチーム力を高める努力をしていきたいものです。

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