11 苟くも仁に志せば、悪しきこと無し

おはようございます。本日は、「苟くも仁に志せば、悪しきこと無し」という論語をご紹介します。この意味は、「他人を思いやる心さえ忘れなければ、悪い心を抱くことはない。」ということです。

 

介護や福祉の現場で、いろいろな事件が起きています。2014(平成26)年に起きた川崎の老人ホーム連続殺人事件、2016(平成28)年に起きた相模原障害者施設殺傷事件など、介護・福祉の現場で入居者に対する虐待や暴力、あげくの果てに殺人といった行為が行われる背景には、何があるのでしょうか。

いろいろな原因があると思いますが、本質的なところは、本人の心の問題ではないでしょうか。自分の事しか考えられなくなった心を利己主義と呼びます。利己主義に支配された心は、何が正しいのか、何が間違っているのか、判断がつかなくなります。自分さえよければ、他人はどうなっても構わないという考え方は、相手を思いやる気持ちを失わせます。泥棒や万引き、傷害事件や殺人事件は、自らの心に「仁」が欠落した結果起きるということです。

したがって、相手を思いやる「仁」の志を持って生活していれば、悪事を行うことはないということです。うそつきは泥棒の始まりという言葉があります。これは、平然と嘘を言うようになれば、良心がなくなって盗みも平気ではたらく人になるから、嘘はついてはいけないという戒めですが、自分に対しても相手に対しても誠実な心が、仁の心につながっていくのではないでしょうか。

 

2500年前の春秋戦国時代にあって、孔子は、良い人間と悪い人間を区別する方法を教えています。その教えとは、「良い人間とは、仁の心をもって相手を思いやる気持ちのある人間で、逆に悪い人間は、自分の利益だけを考えて相手を思いやることのできない人間である」というものです。人間は、神様ではありませんから、良い心と悪い心が同居しています。良い心が100%を占める完璧な人間はいないでしょうし、その逆もあり得ないと思います。時には良い心が前面に出て良い行動をする時もあれば、悪い心が出てきて悪い行動をする時もあるのです。

年末を迎え一年を振り返るこの時に、自分の心を振り返ってみることが大切です。人のためを考えて心を尽くさなかったのではないか、友人と接していて信義に欠けるようなことをしなかったか、学んだことをよく身につけていないのに人に教えていないか。こうした反省によって私たちは、日々成長していきたいと願うものです。

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